2014年09月12日

UG|Step4 苦情発生のメカニズムを断ち切る(二)

 「毅然たる態度」と聞いて、あなたはどんなご自分を思い浮かべますか。広辞苑によれば「毅然」とは、「意思が強く、物事に動ぜずしっかりしているさま」とあります。もしかして「憮然とした顔」をしていたり、「猛然と反論」したりしてはいませんか。降って湧いた様な苦情に唖然として、ただ呆然と立ち尽くすばかりかも知れません。なかには闇雲に虚勢を張って敢然とノーを突き付ける事や、正論を振り翳してお客様の非を正す事だと勘違いなされているホテルマンがいるかも知れませんね。私たちの使命はあくまでお客様のサポートをさせて頂く事であって、如何なる場合でも大切なお客様に勝つ事を望んではならないのです。
 心臓が破裂するのではないかと思える位に脈拍が上がり、手には脂汗を握って、背中を冷たいものが滝の如くに流れている。そんな思いをされたホテルマンも少なくはないと思います。問答をする声が上ずって、脚の震えが止まらない。顔面は蒼白となって行き、胃がキリキリと締め付けられる様に痛み出す。私もそんな気の弱いタイプのホテルマンの一人でした。これでは「毅然たる態度」どころではありません。
 少し話を脱線させてみましょう。江戸時代。それは世界の歴史にも類を見ない、二百六十年にも及ぶ泰平の世の続いた驚くべき時代です。あの歴史のヒーロー織田信長が夢見て、豊臣秀吉が成し遂げた天下統一を完成させたのが徳川家康でした。皆さんは彼がとても臆病だったと言う逸話を聞いたことがありますか。
 1572年。織田家と同盟関係にありながらも未だ浜松城の城主でしかなかった若き家康は、日の出の勢いの信長を打倒して都への上洛を果たそうとする武田軍と三方ケ原で対峙しました。多勢に無勢。しかも相手は戦国最強と謳われた信玄なのです。主だった重臣は籠城を訴えました。しかし、血気に逸る家康は浜松城を飛び出してしまったのです。数に勝る武田軍は、戦闘で傷ついたり体力を消耗した者が内側の元気な兵と入れ替わる事の出来る魚鱗の陣(軍勢が大きなひと塊となっているさま)を取りました。決死の覚悟の徳川軍はそれを包み込んで戦う鶴翼の陣(軍勢が横一列に並んださま)です。重臣たちの予想通りに勝負は武田軍の大勝利でした。突破されたら後のない鶴翼の陣は総崩れとなったのです。惨めな敗走でした。大切な家臣たちは自分の命を投げ出して、茫然自失とする未熟な家康を浜松城へと逃げ帰らせてくれたのです。自らが怖れおののく姿を絵師に掻かせた事はあまりに有名ですね。武田信玄との無謀な激突で多くを学んだ家康は、以降、戦で負ける事はありませんした。秀吉でさえも小牧長久手の戦いで大敗を喫したのです。
 なぜ彼は有象無象の戦国大名が家康亡き後の天下を虎視眈々と狙う乱世で、二百六十年と言う途方もない長さの平和の礎を築く事が出来たのでしょうか。それは彼がとても臆病であったと評される事と深く関わっている様です。傲慢なやり方で明智光秀に謀反を起こさせてしまった信長からも、石田三成だけを重用して我が子秀頼を溺愛した秀吉からも、家康はより多くの「危うい落とし穴」を学んでいたに違いありません。征夷大将軍を早期に秀忠へ譲った事も、それを十五代も支える徳川御三家を設けた事も、譜代と外様大名を分けて統治した幕藩体制の確立も、徳川の世が盤石である事を力のある諸大名に二重三重に知らしめて行ったのです。臆病であると言う事は、常に身を護る術を考えている事に繋がります。自らの弱点を客観的に鑑みて、徹底的に抜かりのない防御の策を立てて行くのではないでしょうか。最善の策であると考えた鶴翼の陣が突破された時、当時の若き家康には「次善の策」「三善の策」がありませんでした。いざと言う時に毅然たる態度を取る自信のない私の様な臆病者は、どんなお客様の厳しいチェックにも耐え得るホテルのシステムを整えておく以外にないと考えています。

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ラベル:基礎知識
posted by 幻のホテルマン at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | スタッフ編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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